前回のテーマは「動名詞なんて無い!」だった。今回は「現在分詞」にスポット・ライトを当てる。昔ある生徒から質問を受けた。まずは以下の文を見てほしい......


  • Not knowing what to do, I remained silent.
    「何と言っていいか分からなかったので黙っていた」


問題は下線部だ。「knowは進行形にしてはいけないんじゃないんですか?」というのが彼女の質問の骨子であった。実に鋭い。「う...」と一瞬答えに詰まった。確かにknowは「状態動詞」である。従って進行形にはできない。答えは「be + ~ingは『動作動詞』でなくてはならないが『~ing単体』ではそのような縛りは受けない」である。

だがこの生徒の質問は、筆者に「進行形の起源」を考えさせるきっかけを与えてくれた。ギリシャ語で新約聖書「ルカによる福音書」を読んでいた際、「進行形」と思しき表現に何度も遭遇した。「ほう、古代ギリシャ語にすでに進行形が存在したのか...」と思った。しかしどうも様子が変だ。「ειμι[エイミー](=be) +~ων[~オーン](~ing)」で確かに進行形の形は取っているのだが、進行形と解釈できるものもある一方、明らかにそうでないものもある。そこで手元の「新約聖書辞典」を紐解くと、やはり同じことが「聖書ギリシャ語(所謂『コイネー』だが...)の特徴」として書かれていた。そしてそれが「ヘブライ語語法」由来であることも...。新約聖書の原典はギリシャ語で書かれている。しかしイエスの弟子たちはルカを除いて全員がユダヤ人(ルカだけはギリシャ人)なのだから、当然彼らの残した書物はヘブライ語の影響を免れることはできない。故にギリシャ語聖書を読んでゆく上で、通常の「ギリシャ語大辞典」とともに「新約聖書辞典」が手放せない。だがここにも「ヘブライ語の影響か?」とあるだけで詳細は書かれていない。挙句本棚で埃をかぶっていた「ヘブライ語入門」までひっくり返す羽目となった。では簡単にヘブライ語の「時制」の特徴を解説しよう。もっとも現時点では筆者のヘブライ語は到底使い物にはならず、さらに紙面の都合上、誤解を恐れず荒っぽい説明になることはご容赦願いたい。

古代ヘブライ語には「現在」とか「過去」とかの、所謂「時制<tense>」の区別はなかった。あったのは①「完了」②「分詞」③「未完了」の3つの「相<aspect>」の区別だけだ。①「完了」とは「その行為が完了してしまった」ことを表し、②「分詞」と③「未完了」とは「まだ継続中」であることを示す。②は「状態・動作の継続」、③は「普段の習慣の継続」と捉えておけばいいだろう。同じ「進行形」でも「現在進行形」か「過去進行形」かは、文の前後関係から判断した。この「分詞」「未完了」の2つの形を聖書の執筆者はギリシャ語の「be動詞 +現在分詞(能動分詞)」をもって充てた。「進行形」と「単純形」の混在の理由はこれだったのだ。無論ヘブライ語の「底なし沼」はもっとはるかに深く、この「完了」「未完了」の用法にしても、聖書学者らがそろって頭を抱えるほど不可思議な使い方があるのだが、それについては後日を期す。

ここで「名詞文」に言及しなくてはならない。6月号でも触れた「動詞のない文」である。昔「アイ・ロボット」というウイル・スミス主演のハリウッド映画があった。「I am Robot.じゃないの?」と多くの方が思われただろう。しかしI Robot.でもいいのである。「現在形のbe動詞は省略できる」からだ。これを「名詞文」と呼び、既に書いたがラテン語、ギリシャ語、ヘブライ語などに存在する。英語でも可能なはずだがまずお目にかかることはない。ヘブライ語ではこの「名詞文」を使ってHe running.などと作っていた(よい子は真似しないで下さい!!)。これを特に強調したいときはbe動詞を補いHe is running.としていたのだ。ただし注意しなくてはならないのは、~ingに来る動詞は「動作動詞」だけでなく「状態動詞」でもよかった点だ。英語でも~ing単独では必ずしも「動作が進行中」という意味を表さないのはこういった理由による。ではいつから「be + ~ing」が「動作動詞でないとダメ」となったのか? 今度は英語の変遷を見てゆこう。

そもそも「進行形」の登場は驚くなかれ、18世紀になってからだ。それまでは「単純形」が「進行形」の意味も表せた。日本語でも「走っている(動作)」も「似ている(状態)」も我々は区別していない。他の「欧印(インド・ヨーロッパ)語族」の言語もほぼ同様である。「進行形」は欧米の言語の中でも特異であるのみならず、英語史の中でも特異な現象なのだ。進行形の成立過程はちょっとネットをググれば出てくる。所謂(いわゆる)「動名詞・現在分詞・合体説」である。英語の「動名詞」には~ing / ~ungなど、いくつかの種類があった。一方「現在分詞」には~ende/ ~indeなどがあった。両者ともたまたま「進行形」に似た意味を持つ用法を持っていたためやがては合体し「be + ~ing」の形に統一された...というものだ。ではその「似通った表現」とはどんなものか?以下の2文を比べて欲しい。~ung~endeも、紛らわしい故~ingで統一した。

  • The king is on hunting.「王は狩りの途中だ」
    ①「狩をすること(動名詞=ung)の最中・途中<on>だ」
  • The king is hunting.「王は狩りをしている」
    ②「狩をしている(現在分詞=ende)状態である<is>」


「意味」も「型」もほとんど変わらない。onが欠落すれば区別がつかなくなる。①のニュアンスの方が「動作が進行中」に近い。「形(be + ~ing)は現在分詞が提供し、意味は動名詞が提供した」と言われる所以(ゆえん)である。次の文は受験英語でもよく目にする。「車の数が増えている」という意味だ。

  • The number of cars is on the increase (=on increasing).
    ①[動名詞]
  • =The number of cars is increasing.
    ②[現在分詞]


この用法はどうも古英語以前の「ケルト語」用法のようだ。「ケルト人」とは世界史選択者でも馴染みがなかろうが、古代ヨーロッパ大陸全体に住んでいた人々だ。一時はアルプスを越え、まだ揺籃期にあった都市国家ローマを滅亡寸前まで追い込んだこともある。この苦い経験を糧として、ローマはやがて世界帝国への道を歩み始めることになるのだが、今ではブリテン島の北部や西部にひっそりと暮らし往時の面影すらない「スコットランド」「ウエールズ」「アイルランド」などがこの「ケルト」の末裔とされる。またサッカーに詳しい方なら中村俊輔選手がかつて所属していたスコットランド・リーグの「セルティック<Celtic>」を想起されるだろう。「セルティック」=「ケルティック」だ。

ではどうしてそんな古い表現方法が、18世紀になるまで陽の目を見なかったのか?ここに「ヘブライ語」が絡む。聖書とともにギリシャ語・ラテン語がブリテン島に流れ込む。ギリシャ語から新約聖書が、ヘブライ語から旧約聖書が、次々に英語に翻訳された。その際彼らが目にしたものが、「ειμι(=be) +~ων(~ing)」の形だったのだ。「え? 俺たちの言語にも、昔からそっくりの用法があるよ!」となったわけだ。それまで被支配階級であったケルトの人々(字が書けず、当然その表現も記録に残らない)の「教養のない貧しい人々の使う表現」とされていたものが、一躍脚光を浴びることとなった。イギリス版「天一坊事件(といっても今の子は知らないか...)」である。「聖書」といえば、欧米では押しも押されぬ「不磨の大典」だ。教養ある人々も、こぞってこの形を取り入れるようになった。これを後押ししたのが「大英帝国の興隆」である。スペイン無敵艦隊を「アルマダ海戦<1588>」で撃破、17世紀には「清教徒革命」「クロムウエル戦争」「名誉革命」などの混乱を乗り越え、「七年戦争<1756-63>」でフランスを打ち破って「七つの海」を支配する大帝国が出現する。ご存知「産業革命」がこれに拍車をかける。国は豊かになり、国民の教育レベルも上がり、それに伴い「識字率」も上がる。それが18世紀に「進行形」が突如として英語に出現することになる「舞台裏」だと考えられる。そしてそれまで「動作が進行中」という意味でも使われていた「単純形」が、その役割を「進行形」に明け渡すことになった。「生みの親・ケルト」「育ての親・ユダヤ」といったところか...。


にほんブログ村 英語ブログ 英語講師・教師へ