どうして英単語(爾後、「単語」)が覚えられないのか? 基本は「毎日やる」ことだ。当たり前の話である。まずは記憶のメカニズムから説明しよう。記憶にはある一定の「閾値(いきち・しきいち)」というものが存在する。「このラインを越えてしまえば永遠に忘れない」という一線のことだ。たとえば父親の顔を忘れる人はいないだろう。朝起きて「あんた誰?」などとおやじに言ったらぶん殴られる。どうして忘れないか? 毎日会っているからだ。だから単身赴任しているサラリーマンがたまに自宅にもどると幼い子は、「あのおじちゃん誰?」と聞くのである。毎日15分でいい。一日も休まずやることだ......

これは筆者にも苦い経験がある。一念発起してラテン語を学び始めたことのことだ。いくら勉強しても次にテキストを開くときにはすべて忘れている。何やら自分の字で「書き込み」らしきものがある故、そこまで学習したことは確かなのだ。あまりにきれいに忘れるので背筋が寒くなってきた。「ひょっとして脳に障害でも...?」と、CTスキャンを撮ることまで考えた。そこで「リンゴは落ちるのに、どうしてお月さんは落ちて来ないのか?」と考えた天才物理学者・アイザック・ニュートンに倣い、「英語は覚えたのにどうしてラテン語は覚えられないのか?」と筆者も考えた。「あの頃は毎日勉強していたんだ!」と気が付くのに、ものの10分とかからなかった。多忙ゆえ週に一度くらいしか、テキストを開いていなかったのだ。新しい言語の学び始めで、これは致命的である。そこで毎日10分、必ずラテン語に触れるようにした。するとどんどん新しい単語を覚え始めた...というわけだ。

さらに分かりやすい例を挙げよう。「サターン・ロケット」だ。約三年前「人類月着陸50周年」の式典が、アメリカ各地で盛大に執り行われたが、人類を月にまで送り込んだのがこのサターン・ロケットだ。何と高さは110メートル。総重量は2700トンを越える。しかし本当に必要なのは先端部分の「司令船・機械船(30トン)」と「月着陸船(15トン)」だけだ。総重量の90%以上は実は「燃料」なのである。この計45トンを重力圏から離脱させるために燃料が必要で、その燃料を打ち上げるためにさらに燃料が必要...となって、結局それだけの巨体になってしまうわけだ。最初の何秒間かのスピードは、何と「秒速数センチ」だそうな。その膨大な燃料を次々に点火・爆発させて、最終的には地球の重力圏を離脱、地球周回軌道に乗る。これを「第1宇宙速度」と呼び、初速で秒速約7.9kmが必要となる。さらに「第2宇宙速度」は地球の周回軌道をも振り切って他の惑星に向かうために必要な速度。「第3宇宙速度」は太陽の重力圏を離脱して太陽系外に向かうために必要な初速で、秒速にしてそれぞれ11.2kmと16.7kmを要するのだが、いったん地球周回軌道に乗ってしまえば、後は燃料は一滴たりとも必要ない。(下手に噴射したら軌道から外れ、永遠にもどってこられなくなる。)半永久的に地球周回軌道をまわり続けることができるのだ。「上空10キロの地点で一休み...」などということは不可能だ。もたもたしていたら重力に引かれ、あっという間に降下して(忘れて)いってしまう。とにかく間髪を入れずに次のブースター(推進装置)に点火し、上昇し続けるしかない。単語の暗記もこれに当たる。「毎日やれ!」と言うのはそういうことだ。「なかなか覚えられない」という人は、何度もロケットを打ち上げてその度に重力圏を脱出できずに地上に落ちてきている人なのだ。これを筆者は「サターン・ロケット理論」と勝手に呼んでいる。

ではどれくらいの分量をやればいいのか。個人差はあるが、例えば毎日100個の単語に「触れる」としよう。そして一日20個ずつ先に「ずらして」ゆくのだ。今日1〜100までやったとしたら、翌日は21〜120。三日目は41〜140...といった具合である。こうすれば任意の単語と必ず5日間触れ合うこととなる。「単語との相性」は無論存在する。一発で覚えられる単語もあれば、何度やっても覚えられないものも...。「どうしても好きになれない奴」が、世の中には必ず何人かいる。それと同じだ。「好きになれ」とは言わない。そういった単語はそのままに、どんどん先へ進めばいい。「相性のいい人間」が、先にはいっぱいあなたを待っているからだ。お釈迦さんも言っている。「嫌な奴とは会うな!」と。もっとも次に「好きな人間とも会うな!」とも言っており、いかにもお釈迦さんらしいがここでは深入りしない。いずれにしても「ターゲット1900」であれば、一刻も早く基本単語800まで終わらせてしまうことだ。そしてまた1にもどる。それを何度も繰り返す。また完全に覚えた単語は印をし、飛ばして進めば速度はさらに増す。

次に気になったのは「発音」だ。覚えられない生徒はまずもって単語を「読んでいない」。こちらも「致命的」である。アルファベットは言うまでもなく「表音文字」だ。したがって「音」に出さないと区別できない。ギリシャ語の場合はさらに深刻だ。ラテン語はローマン・アルファベットだが、ギリシャ語はグリーク・アルファベットで書かれている。ご存知α、β、γで始まりωで終わる、コロナ騒動で一躍有名になった文字である。さらにこれらが活用、曲用を繰り返す。ぱっと見、どんな単語か全くわからない。10年以上経過した現在も...だ。そこで仕方なく「音読」してみる。すると「アレ? この単語、確か昨日やったぞ!」となるのだ。「音読、おそるべし」である。しかし日本人は単語を「字面(スペル)」で覚えようとする。どうしてそうなるかと言えば、「漢字」が「表意文字」だからだ。「視覚(姿かたち)」で覚えようとする。だが英語は違う。例えばexで始まる単語がどれだけあるか考えてみればそれは分かる。expensive / expenditure / expectation / expire / expedition / exploration / experience / expansion / explanation...と果てしない。これらを視覚的に区別するなどまずできるものではない。区別するには「聴覚」に頼るしかないのだ。「でも音にすれば区別できるんですか?」と食い下がる生徒もいる。しかしこれが「できる」のだ。バラク・オバマ風に言えばYes, we can.である。どうしてなのかは筆者にも分からない。昔の曲を聴くと、当時の情景がありありと蘇ったりするのもそれだ。「音と脳の不思議な関係」と言うしかない。視覚は「左脳(=論理=文字)」。聴覚は「右脳(=直感=音)」の支配をうけるが、それと結び付ける研究者もいる。そもそも「文字」と「人類」との「お付き合い」はたかだか五千年。一方「音」とのそれは人類創成時にまで遡る。現代でも「読み書きができない人」は地域によっては存在するが、それでそこでの生活に困ることはない。「文字」は「音」に変換して「脳」に記憶され、またそれを「音」を経由して「文字」におこすのだ。「表意文字」である漢字ですら、「音」と無縁ではありえない。「読めない漢字」はなかなか記憶できないものだ。間違った発音でも、ローマ字読みでも構わない。兎に角「発音」しながら暗記することだ。ましてや最近では単語集には必ずといっていいほどCDがついている。我々の時代ほど「音に困る」ことはないはずだ。「その発音はネイティブと違う!」などと、したり顔で解説する輩がいるが、そんな奴の言うことは無視していい。こういう輩がいるから恥かしがって、日本人が発音しなくなるのである。発音が正確であるに越したことはない。しかし別に我々は、アメリカ人になるために英語を勉強しているわけではない。アフリカ人にはアフリカ人の、アラブ人にはアラブ人の、中国人には中国人の発音がある。どんなに拙い英語でも、彼らは堂々と胸を張る。日本人は日本人の発音を、堂々と示してやればいいのである。

次は「どうしても好きになれない奴」の攻略法だ。まずは相手の「氏素性」を調べることだ。「趣味が同じ」だったり、下手したら「遠い親戚」ということもあり得る。一気に親近感が増す。筆者の学生時代には、海外を旅する日本人はほとんどいなかった。何せ1ドル300円の時代である。ヨーロッパであればまだしも、開発途上国(所謂、ヤバイ国...だが)となると皆無に近い。そんな中で日本人の旅行者に会えば、一発で「親友」になれる。「え? あんた日本人? いやー懐かしい!」となる(初対面ゆえ「懐かしい」も何もないのだが...)。その夜は酒を酌み交わし、祖国の話に花が咲く。その「氏素性」を紹介したのが拙著「古典古代から受験英語へ...」だ。茗渓予備校のHPから検索できるので参照して欲しい。最後にもう一つ大切な心構えがあるのだが、これは紙面の関係で次号に譲る。


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