こちらも「英語嫌い増産器」と言える。be動詞はそのままnotをつけたり文頭に出したりすれば否定文・疑問文を作れるが、一般動詞は「それはまかりならん! 助動詞doを使うのだー!」というのだ。「何で?」という生徒の疑問に答えてくれる先生はほとんどいない。「これでーいいのだー♬」ではまるで「天才バカボン」ではないか。「訳わかんねー!!」と憤りを感じた中学生諸君。自信を持って欲しい。君たちの感覚こそ正常なのだ。そもそも同じ動詞なのに用法が異なるなどありえない。そんなことをしたら文法がひっくり返る。こんなダブル・スタンダード(二重規範)が許されている言語は、聞くところによれば「英語だけ」。何かが間違っているのだ......


結論から言おう。一般動詞もbe動詞と同様に、notをつけられるし文頭に出すこともできるのだ。早い話が「『助動詞do』と巷で呼ばれているものは、れっきとした一般動詞(する)である」ということだ。

ではdoの直後の一般動詞は何者か? まさか動詞が2つも出てくるはずはない。「一つの文に動詞は一つ」のはずだ。答は「不定詞」だ。ただしtoのつかない「原形不定詞」である。doが本動詞であり、うしろに動詞面してふてぶてしく居座っているのは実は原形不定詞だったのだ。意味は名詞的用法、つまり「〜すること」である。

無論古代にはto不定詞などまだ無い。すべて原形不定詞であり、しかもラテン語では副詞的用法・目的と思しき使い方が稀に見られるものの、ほとんどすべて名詞的用法だ。ギリシャ語の方が不思議なことだが若干英語に近く、目的・結果の用法らしきものも散見される。英語とギリシャ語の不思議な共通点については後日書く。

話をもどす。つまりdo speak Englishは「英語を話すことする」という意味だったのだ。どうしてそんなことが分かるかというと、ギリシャ語もラテン語も、そういう構造になっているからだ。doの代わりにラテン語ではfacio[ファキオー]「〜する・作る」という単語が使われる。JUKENの10月号で取り上げた単語だ。ギリシャ語でfacioに当たるのがποιεω[ポイエオー]=poieoという単語である。ただし下線部は融合して実際にはποεω[ポイオー]となる。こういった動詞を「融合動詞」と呼ぶ。しかしποιεωを使ったこの種の表現は、facioほど頻繁には見られない。またこのfacioやποιεωを使わない形も多く見られる。英語式で誤解を恐れず書けば、以下の2通りの表現が共存していた。
  • Do you know him ?...①
  • Know you him?⋯②
英語では②の形が完全に滅び、①だけが現在許されているのはご存知の通り。ではどうして英語でそんな現象が起こったのか? 文法学者の先生方の間でも結論は出ていないと聞く。ある説に曰く「英語が曲用(格変化)を失うにつれ、バーター(引き換え)として『文型』という概念を取り入れざるを得なくなった。その際②の形では文型がVSOとなってしまう。こんな文に生きていてもらっては都合が悪いので抹殺された...」と...。ついでに「doは動詞ではない。あんなもの助動詞だ!」と「口封じ」をすれば「完全犯罪成立」となる。「なるほどな...」と思う。これならギリシャ語・ラテン語で12の表現が存在している(いた?)ことも頷ける。ギリシャ語・ラテン語には「文型」など無いからだ。またDo you 〜?の方が「リズムがとりやすいから定着した」という説もあるようだが、これは「単独犯行説」としては今一つ弱い。話をもどす。

「すべてのdoは『〜する』で動詞。後ろの原形不定詞は『〜すること』である...」というその証拠にBe quiet.を「強調」したい時はDo be quiet!と表現する。何と助動詞doとbe動詞がコラボしているのだ。Don't be late.も同様だ。「doは一般動詞にしか使わないんじゃなかったんですか?」と生徒に質問されたら、英語の先生方はどう答えるつもりなのだろう? 答は簡単。「静かであることをせよ!」だ。無論Be not late.でも通じるが、避けた方が賢明だ。滅び去った形(②)であるからだ。

さて助動詞doは、もとはれっきとした動詞であるからnotがついても何の不都合もない。notは副詞で、副詞の主たる機能は動詞の修飾であるからだ。副詞を英語でadverbと言うが、原義は「動詞<verb>の方へ<ad>...」だ。「副」は「副(そ)える」と読む。有名な名前では「副島(そえじま)」や「江副(えぞえ)」などがある。従って「副詞」は「動詞に添(=副)えられた品詞」の意味で、まさに英語の直訳である。

さてこれで「本動詞のdo」が「〜する」の意味であることも頷ける。「助動詞のdoは訳さず、本動詞(一般動詞)のdoは『〜する』と訳すのだ...」などと、わけのわからない説明をするから中1生が混乱を起こすのだ。実際canの説明でも、ちょっと気の利いた文法書には「canは後ろに原形不定詞を取る」とちゃんと書いてある。次に「ではI can play 〜という文ではどれが動詞なのか?」という疑問が湧く。これにはcan「助動詞」とplay「原形不定詞」で「2つ合わせて動詞」となる」という説明がなされている。柔道で言う「合わせ技一本!」というやつだ。be+〜ing「進行形」 / be+pp「受動態」/ have+pp「現在完了」、すべて同じ解釈だ。これらのbe / haveは実は「助動詞(無論もとは動詞)」なのだ。疑問に思われる方は手元の英和辞典で確認して頂きたい。ちゃんと「助動詞」として載っている。話をdoにもどす。

さて、やがていつのまにか本動詞のdoは「助動詞」というわけのわからない地位に降格処分を受け、単なる不定詞が「動詞」面してのさばってきたのだ。「軒を貸して母屋を取られた」わけである。これはcanも同様だ。無論canが動詞である。ラテン語ではpossum[ポッスム]と言う。possibleの語源となった単語だ。「possum+原形不定詞」で「〜できる」を表す。ギリシャ語ではδυναμαι[デュナマイ]=dynamaiを使う。dynamic[ダイミック](アクセントは下線部!)の語源となった単語である。may / must / shall / will...すべて同じだ。ちょっと大きな英和辞典を繙(ひもと)けば、すべて「もとは動詞」であったことがわかる。needやdare「あえて〜する」もご存知のように「動詞」と「助動詞」の両方の用法が存在するが、doもその仲間だったのだ。助動詞というのはごく最近登場した品詞なのである。品詞にも栄枯盛衰がある。無論ラテン語にもギリシャ語にも、助動詞なるものは存在しない。

因みに「どうして疑問文でdoを文頭に出すか?」であるが、これは「印欧(インド・ヨーロッパ)語族の言語は基本的に語順が自由。強調したい単語ほど前に持ってくる。」からだ。これは「文型など存在しない」ということでもあるが、これに関しては「文型の嘘」として後日を期す。さてDo you 〜?とくれば「しますか? あなたは...」だ。つまり「するかしないか?」を聞いているのだ。「何をするか...」なんて、とりあえずはどうでもいい。したがってYes / Noで答えるのである。Yes, I do.のdoは「代動詞」などという仰々しい名前が付けられているが、何のことはない、「はい、します。」と答えているだけの話である。「助動詞doは訳さない。それが文頭にくると疑問文ができるのだ!」などといった説明は、全くもって支離滅裂であろう。

What do you 〜?などと、「疑問詞は文頭に出す」という規則も同様だ。「何?」が話者の一番聞きたい情報であって、後ろの部分は万が一聞こえなくても、その文はその機能を果たすからである。もう後は「言わずもがな」だと思うが付け加える。He does not play 〜.のdoesだ。どうして三人称・単数ではdoがdoesに変わるのか? もうお分かりだろう。doesのesは「三単現のs」なのだ。doはれっきとした「動詞」なのだから「三単現のs」がついても何の不思議もない。playにどうしてsがつかないか? 原形不定詞だからだ。「助動詞の後は動詞の原形だから」ではない。be+〜ing / have+pp / be+ppのbe / haveが助動詞であることは既に書いたが、後ろは原形にはなっていない。またplayを強調したいときは肯定文でもHe does play 〜.とdoesを入れるが、むしろこちらが本来の姿であったのだ。


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