K I R I
 — 茗渓予備校通信 2012年9月号

ゼミの窓

45年ぶりの再会

大学時代の同級生に、この夏45年ぶりに再会した。1968年にフランスへ渡ってからわたしたちは一度も会っていなかったが、『再構築した日本語文法』の出版記念講演で45年ぶりに彼のこえに触れた。 話を聞きながら、昔のことをひとつひとつ思い出していた。1968年のフランスの大学闘争の波は遠く日本にも及んでいた。翌1969年は東大の入試が中止になっている。

彼(小島剛一)はストラスブール大学で博士号を取得してから、半年は大学で教え、残りの半年は世界のあちこちを飛び歩いていたそうだ。行ったことがないのは南極ぐらい。『漂流するトルコ』のなかで、ゴム草履を履きながらヒマラヤを下山するときの恍惚感を書いているが、いかにも彼らしい。再会した時の別れの挨拶は、わたしは「小島剛一よ」、そして彼もまた「高木春彦よ」と、呼び合うだけで十分だった。握手する手の力の強さには驚いた。

彼の話のなかで、フランスに渡って5年目ぐらいして自分が何者なのか実存的な喪失感に陥りそうになったと語っていた。フランス語も英語も年を経るごとにネーティブと同じレベルになっていったようだ。旅する国のことばを数多くマスターしているというから、使える言語は相当な数にのぼるはずだ。今回の日本語文法を門外漢の彼が出版したくなった動機は、フランス人に日本語を長年教えている間に既存の文法書は何の助けにもならなかったことだという。「先生の本には参考文献が載っていないのですが」という質問に、「なまじ文献を付けていたら反論だけで大部なものになってしまう」という傲慢でユーモラスな答えが返ってきた。いかにも彼らしい。