まずは例文を見て欲しい。お馴染みの「書き換え」例文だ。
  • If it were not for water, we would all die.
    Were it not for water, we would all die.
ifが省略され倒置が起こった云々...」と説明されているがこれは「嘘」。全く別の表現を、「ほぼ同じ意味だから...」とイコールで結んでしまっただけだ。教える手順としてはOKなのだが、これだと「ifを省略したら倒置にできる!」との誤解を子供たちに与えてしまう。実際英作文で早速これを乱用(?)して「×」をもらった生徒も過去にいた。故にあくまで「これは嘘なんだけどね...」と断りを入れ、「ある表現だけにしか使ってはいけないんだよ...」と付記すべきであろう。使用可能な文はHad+pp ~.などの「仮定法過去完了」や、Were I you, ~などの「be動詞の仮定法過去」またShould he come ~「もし万が一...なら」など2~3例にとどまる。If I knew her address, ~「もし~を知っていれば...」をDid I know her address, ~とやってはならない(昔はOKだった...という説もあるが...)。

では「この前半部分の倒置は何なのか?」という問題になる。ある大手予備校のサイトを参照すると、「前半部分は、もとは疑問文だった!」という謎解きがなされていた......

  • Were I you, I would not do such a thing.「もし私があなたなら、そんなことはしないだろう。」
    =Were I you? + I would not do such a thing.
「私はあなただろうか?→いや違う→でももしそうなら、そんなことはしないよ。」と解釈するというのである。しかし反論も多い。これだと矛盾をきたす例が次々出てくるからだ。そもそもWere I you?が果たして「私はあなただろうか?」になるのかも「?」だが、一番簡単な反論は「イントネーション」だ。疑問文なら最後が上がるはずだが、この文はそうはならない。さらに矛盾する例を一つ挙げる。
  • Should he come, tell him that I am out. ...①「万が一彼が来たら。外出中だと言ってくれ。」
    =Should he come? + Tell him ~. ...②「彼は来るだろうか? もし来るなら~。」
おかしいことに気づかれただろうか? ②は「彼は来るべきでしょうか?」という意味にしかならないのだ。さらにもし「もとは疑問文である」とするならIf I knew her address, ~.Did I know her address, ~.「彼女の住所を知っているだろうか?→いや知らない。→でも知っていれば...」とすることができるはずである。しかし既に書いたがこれは「非文」である。どうしてダメなのか?

英語で理解できない表現があると、どうしても英語という言語の中だけで辻褄を合わせようとする。だからこんな頓珍漢な説が生まれる。分からなかったら「由来」を遡り、「歴史に学ぶ」ことだ。言語学であれば「古代語」に答えがある。いやしくも英語を生業(なりわい)とするのであれば、第二外国語あたりまで身に着けておくのは最低限のマナーであろう。「英語の中だけで何とかしたい」という気持ちは人情としては分からないでもないのだが、これははっきり「教師の怠慢」である。では英語の用例で、この「ifの省略と倒置(?)」の形に「似たもの」を探してみよう。
  • Long live the Queen ! ...③「女王陛下万歳ー!!」
これは「仮定法現在」である。その証拠にliveに「三単現のs」がない。「動詞の原形を用い、十分実現可能な内容を願う」ものだ。「長く・生きてね・女王陛下」と、語順も日本語のまんま...だ。間違っても「仮定法過去」を使ってはいけない。「まず亡くなられるだろうけど、何とか生きのびて欲しいなー」などといった「縁起でもない」意味になってしまう。

画像 また「ビバ 〇〇!!(〇〇さん万歳!!)」などもよく耳にする。ラテン語でもVivat Academia!で「アカデミア万歳!」などと使う。アカデメイアはご存知、古代ギリシャの哲学者プラトーンの創設した学園の名前である。vivatvivo「生きる」の「接続法(仮定法)」だから「アカデメイアが生き残ればいいのになあ!」→「アカデメイアよ永遠なれ!」といったほどの意味となる。繰り返しになるが、仮定法にI wishifも不要である。動詞の形さえ守っていれば、単文だけで仮定法は表現できる。

ではどうして「倒置」になっているのか。実はこれは倒置ではない。「倒置」という概念は「文型」を採用した言語にしか存在しない。ラテン語・ギリシャ語では(そして我らが日本語でも...)語順はもともと「自由」である。従って「倒置」などという概念も存在しない。泥棒ばかりの国には、『泥棒』は存在しない。「話者が一番強調したい単語を文頭に出す」のだから動詞が主語に先行していいのだ。「これは接続法ですよ!!」というまたとないメッセージになる。またこんな文も存在する。
  • Be it ever so humble, there is no place like home. ...④「いかに粗末でも、我が家にまさる場所はない」
今ではめっきり見なくなったが、30年くらい前の受験生なら誰でも知っていた暗唱例文だ。
  • However humble it may be, there is no place like home.
画像 という表現に書き換えられる...ということでよく出題された。無論「意味が似通っている」というだけで、両者はまったく別の文だ。「命令法」と捉えてもいいし「仮定法現在」でもいい。両方とも「動詞の原形」を用いるから区別は難しい。「仮定法現在と命令法は親和性が高く、明確な境界線を引くことは困難」とは前号で書いた。ラテン語・ギリシャ語では「接続法(仮定法)が命令法の領域を一部浸食」している。「命令法的仮定法」の呼称を用いられている先生もいる。もし命令文だとすれば「我が家(=it)よ、粗末であれ(あってみよ)! でもそれでも我が家が一番だ。」という意味になる。「我が家」に「命令」しているわけだ。現代英語では「命令文の命令する相手はYou(二人称)」だが、ギリシャ語・ラテン語では「三人称」にも命令できる。「時間よ~止まれ~♬」などという矢沢の永ちゃんの曲もあったではないか...。「命短し、恋せよ乙女...」などもそれだ。It be ever so humbleが通常の語順となろうが、「仮定法現在(or命令法)」であることをはっきりさせるためbe動詞を文頭に出している。
  • Try as you may, you will not be able to do that. ...⑤「いくら頑張っても~できないだろう。」
    =However hard you may try, you will not ~.
これまた「意味がほぼ同じ...」ということでひと昔前にはよく書き換えで出題された。前半下線部はs you may tryの「倒置」ではない。Try as you may (try), ~だ。「あなたが努力するかも(=may)しれないが、そのように(=as)努力してみよ。それでも...」という意味である。
  • Come what may, S + V.
    =Whatever may happen, S + V. ...⑥「何が起ころうとも~」
も同様だ。Come what may (come) ~の省略であり、comehappen「起こる」だ(辞書で確認!)。「起こるかもしれない事よ、起こってみよ!それでも...」の意味である。また次の文はよく目にする。
  • Believe it or not, S + V. ...⑦「それを信じてみよ。あるいは信じないでいてみよ。どちらにしても~だ。」
    =Whether you believe it or not, S + V.「信じようと信じまいと~」
随分回りくどくなったが最初の例文にもどろう。上の例文は「仮定法現在」もしくは「命令法」だったが、こちらは「仮定法過去・過去完了」になっただけだ。仮定法過去の例だけ挙げる。
  • Were I you, I would not do such a thing.「私があなたならいいのになあ! もしそうなら...」
無論If I knew the address, ~. = Knew I the address, ~.とできればいいのだが、それでは「文型」の規則に抵触してしまうのでできないのだ。「ifの省略と倒置(?)」ができるものは、疑問文にしても文型が崩れないものに限られている。最後に例文を2つ挙げる。いずれも中学英語だ。
  • If you don't get up now, you will miss the train.「もしすぐ起きないと、電車に遅れるよ!」
    =Get up now, or you will miss the train.「すぐ起きなさい。でないと電車に遅れちゃうよ!」
if文」をもろに「命令法」に書き換えてある。何のことはない。謎解きは中学英語で終わっていたのだ


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