K I R I
 — 2020年 9月号

教育記事と偏り

新聞記事の既視感

この欄でも何回か取り上げた「東大ロボ君」で有名な新井紀子教授(国立情報学研究所および総合研究大学院)は、朝日新聞の「メディア私評」で「最近、朝日新聞の紙面を眺めていて、なにかがおかしいと感じることが増えた」と書いていた。前に読んだような既視感が漂うというのである。

そこで朝日新聞デジタルの検索サービスの検索窓に2018年1月から2020年6月まで「同じ校長や教諭が登場する数」を数えてみた。よく登場するのが私立開成の柳沢幸雄前中高長で8回。同じ私立進学校の武蔵は2回、麻布と桜蔭は0回。その他、都立日比谷高校の竹内彰校長6回、静岡県立高校の国語教諭である駒形一路氏の5回が目をひくとある。駒形教諭とは面識があるが、私もよく取材を受けているなという印象は受けていた。

この期間の主要なニュースは、なんといっても大学入試改革と新型コロナである。取材元を問題にするのであれば、大学の教員や研究者を加えるのが妥当ではないかと思う。ともあれ、取材の偏りは当の新聞記者が日ごろからどのような取材元を築き上げてきたかという問題や、その新聞社の立ち位置などが影響することは言うまでもない。

ここで、話題を変えて「9月入学」の報道の扱いに触れてみよう。今年の5月に入ると、新型コロナウイルスの影響で休校が長引くなか、来年の秋から新学期が始まる「9月入学」について政府が検討を始めた。文科省はこの問題に忙殺され、大学入試の日程の決定に遅れをきたしたという。朝日新聞の検索サービスを使って、「9月入学」の記事を調べてみたところ、テーマがテーマだけに取材元は多岐にわたり、特別な偏りは感じられなかった。毎日、朝日新聞の教育記事はかなり丁寧に目を通しているので、その中から主だったものを時系列で拾い上げてみる。

  • 柳沢幸雄(前述の開成校長) 長期的な視点からいっても大いに利点(5/4)
  • 前川喜平(元文科省事務次官) 今ではない もしやるなら5年から10年がかりで9月入学までもっていけばいい(5/10)
  • 日本教育学会(広田照幸会長) いま議論している場合じゃない(5/22)
  • 末富芳(日大教授)らの署名活動 9月入学は「不要不急」(5/27)
  • 苅谷剛彦(オックスフォード大学教授) 移行した場合のエビデンスに基づいたコスト算定(賛成でも反対でもない)(6/6)
  • 浜田純一(元東大総長) 大学だけは秋入学(9月入学)に変えていく(7/7)

これ以降、あっという間に「9月入学」の議論は紙面から消えている。この問題は中曽根内閣時の臨教審で議論されてきたものであり、時々ふっと現れては消えてきた。せめて、文科省のなかで今回どんな議論がなされてきたのかだけでもレポートが欲しいものだ。

新井教授は、「取材先と記者が固定すれば偏りは避けられないと考え、社として防止策を講ずるほうが良い。」と考える。たとえば、AIを使って、「固有名詞(取材先)」の登場する頻度や、取材先と記者との「親密度」を計算させる。繰り返し同じ取材先を使う際には、記者に必然性の説明を義務付けると提言している。この提言を、当の朝日の記者たちはどう考えるのか、ぜひ意見を聞きたいものだ。

新聞大学の試み

いままで、新聞の切り抜きを行ってきたが、最近は、それに加えて「新聞大学」というノートをとることにしている。一日1ページに限り、心に迫る記事などを手書きし、自分なりの意見・批判を思いのままに書き付けていく。96歳で最近亡くなられた大先輩の外山慈比古氏の著作『新聞大学』(扶桑社の新書版)の題名をそのままいただいたものである。

新型コロナに関して、「最近は、専門家の意見を聞く前に政治家が結論を出していて、専門家が政治家のお墨付きに使われているのではないかと感じます。」という学者もいる。新聞も批判的に(文句をいうのではなく)理論的に読んでいく必要性を最近ひしひしと感じている。どこかの国の副総理の、「新型コロナの死者数が少ないのは、日本の民度が高いせいだ」くらいのフェイク発言は、すこし数字を調べてみればすぐ見破れるが、新聞記者と取材元の関係までは、なかなか見通せない。