夏を制するものは受験を制す」とまで言われる夏休みも遂に終わりを告げました。模試の成績は順調に伸びているでしょうか? 秋からは学校の定期試験やクラブからも開放され、時間的にはかつてないほど恵まれた環境になると思われます。健康に留意してさらに研鑽を積んでくれることを期待します。一方この時期になると精神的な部分に問題を抱える生徒さんも毎年見受けられるようになります。つまり「試験場で頭が真っ白になる」といったタイプの人です。これに関しては来月号で取り上げます。

英語ができるようになる方法...長文読解編①:長い文章ほど簡単!

「読解トレーニングは短文から...」「短い文章も読めないのに、長い文章など読めるはずがない!」。これが筆者の学生時代にまことしやかにささやかれていた勉強法でした。確かに一見真理のように聞こえますが、そうとも言い切れません。では「長い文章」で考えてみましょう。どの部分がもっとも難解だと感じるでしょう。それは「文頭」つまり「第1段落」のはず。その反対にもっとも簡単に感じるのは「最終段落」でしょう。第1段落は何の情報もなしに読み始めなくてはならないのに対し、最終段落は手の内をすべて明かしたあとの「総まとめ」。前者より後者が簡単なのは当然の話です。難解に感じるか否かは単に「情報量の差」。難易度が同じであれば、情報が多ければ多いほど文章は簡単に感じるのです。逆に「短い文章」は前後(手がかり)がカットされた状態で提示されるのですから難解に決まっています。ですから読解を苦手にしている人は、類推能力を存分に働かせられる長い文章をこそまず読むべきでしょう。さすがに最近はこのような指導方針(短文志向)は影をひそめ、長い文章の問題集が主流になりましたが、筆者の学生時代からつい15年あたり前に至るまで、この「短文志向」が幅をきかせておりました。「長い文章ほど簡単」。こんな当たり前の真理に気づいたのは、この仕事を始めてからでした。

ではどういう読み方をすればいいのでしょう。それは一言で言えば「猪突猛進」です。第1段落が意味不明なのは当たり前。ここで格闘するのは「愚の骨頂」。「ああ、また始まったか...」と横目で眺めてさっさと先を急げばいいのです。先へ進むにつれて、内容はどんどんクリアになってきます。「情報が蓄積」されてゆくのですから当然です。分かりやすい例などが書かれてあったりすれば尚更のこと(というよりこのあたりにならないと分かり易い例は出てこないのです。先を急げ...と申し上げたのはそういうことです。)。下手すると第1段落は本題とまったく無関係な筆者の「つぶやき」だったりする場合も...。後で読み返してみて「なーんだ。第1段落は本題と関係ないじゃないか!」と、憤慨した経験を持たれた生徒さんも多いはず。そんなものに貴重な試験時間を費やすなど馬鹿げたこと。さっさと先を急ぐのです。最後まで読み通したらさすがに何の話か概要くらいは掴めるはず。そうしたら2回目こそは細かく読んでゆくわけです。一度目とは比べ物にならないくらい内容が把握できていいることに気づくでしょう。筆者が大学時代アフリカを旅したころは、かなり大きな町の地図でも存在しませんでした。仕方ないので筆者は自分自身で地図を描いてゆくしかなかったのです。その際気づいたのは、知らない町をあてどもなく毎日ぶらついていても、いつのまにかその町の地図(無論稚拙なものですが...)が描けるようになっているという驚愕すべき事実でした。あなたの知らないうちに脳味噌はちゃんと町の概要を把握すべく、情報処理を進めているわけです。無論私は脳科学の専門家ではありません。様々な異国の町を旅してきた筆者の、体験から来るこれは「推論」ですが...。

英語ができるようになる方法...長文読解編②:設問は味方!

「長文は読んでもいいけど設問を解くのはねー」という人は多いと思います。しかしこれも「とんでもない間違い」。「設問があるからこそ長文が読める」のです。ざっと目を通した1回目に続き、2回目はいきなり設問にとりかかります。そして設問に関連した箇所の前後のみを精読してゆくのです。設問は合否に直結するからそれこそ受験生は「必死」です。やがて設問をすべて解き終わるころには、長文全体の意味も大方理解できているというわけです。「内容が理解できてから設問を解く」のは実は順序が「逆」。「内容が理解できるころには設問はすべて解き終わっている」という状態でなくてはならないのです。「敵のない武将は滅びる」。これは戦国の名将・武田信玄の言葉ですが、「設問を忌避する受験生は落ちる」と心得るべきでしょう。また余りに文章が長くて上記のような読み方が時間的に許されない一部上位大学の試験問題の場合、必ずといっていいほど「内容真偽問題」がついています。「重箱の隅をつつく」ような細かい内容ですから「二度読み」をしていてはとても間に合うものではありません。こういった場合は先に選択肢を頭に入れてから読み始めなくてはなりません。しかしこれも裏を返せば「選択肢が本文のヒント」となっています。このように「設問」は敵にまわせばこれほど厄介なものもありませんが、味方につければこれほど心強いものもないわけです。大学側はあえて受験生諸君に「諸刃の剣」を提示してくれていると言えるでしょう。この手法は大学受験では「常套手段」でありいわば「古典」ですから既に実戦している生徒さんもいらっしゃると思います。また一部の優秀な生徒さんの中には、一度読んだだけで内容が手に取るように頭に入ってくる人がいるようです。それはそれで素晴らしいことだと思いますし、このような小手先の手法を用いる必要がないことは言うまでもありません。


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